The Steamroller and the Violin

これはタルコフスキーが大学で映画を学んでいたときの卒業制作だったと聞いています。短い作品ですが秀逸です。

 

 バイオリンを習っている7つの男の子は近所の子供たちから「音楽家」といってからかわれるのがいやでいやでたまりません。今日も練習に行こうとすると、アパートの前でわんぱく坊主たちにバイオリンをとりあげられてしまいました。

「こらっ、大勢でひとりをいじめるのか」

 助けてくれたのはタンクローラーを運転している若い運ちゃん。映画のストーリーには関係ないけど、いい男です。

 助けてもらった男の子は気を取り直して練習に出かけます。

 しかし、最近いつもこんな状態なのでどうも練習にも身が入らず、けっきょく先生にひどく怒られてしまいました。しょんぼりとアパートの前にもどってくるとさっきの運ちゃんが仕事をしているところに出会います。運ちゃんは男の子を車に乗せて操縦までさせてくれました。その様子をジーッと羨望のまなざしで見つめる悪ガキたち。その大将は張り合って自転車を乗り回し、男の子をからかおうとしますが自分のほうがぶつかってしまい自転車はバラバラ。面白くありません。

 運ちゃんと男の子はパンを買いに行ってしまいました。ふたりがいなくなると、悪ガキたちはローラーのところに集まり、後ろに隠しておいたバイオリンを見つけました。大将がおそるおそるその蓋をあけるのを、一同、固唾を呑んで見守ります。出てきたバイオリンはちっぽけなもの。しかしそこにある何かに悪ガキたちは圧倒されます。大将は何もせずそのままバタンと蓋を閉じてしまいました。

 

 パンとミルクを買った二人は帰る途中で小さな男の子が大きな男の子にいじめられているのに出会います。

「助けてやろうよ」バイオリンの男の子は言いますが、

「ふたりがかりでかい?」

「だってぼくはパンを持っているもの」

「持っててやるよ」運ちゃんは手をかそうとはしません。バイオリンの男の子はけっきょいくさんざん殴られてしまいました。

「顔を洗えよ」水道のそばに来たとき運ちゃんが言います。

「おやおや、立派な労働者だな」横にいたおじさんが冷やかしました。

「いや違う、音楽家だ」運ちゃんは訂正しますが、その言葉を聞くと男の子は我慢できません。

「何? いま何て言った?」そして腹立ち紛れにもっていたパンを地面にたたきつけます。運ちゃんは途端に厳しい顔になり、

「何をするんだ。ひろえ。パンがただで手に入ると思っているのか。これは働いてつくったものだぞ」とたしなめます。でも、男の子にも意地があります。

 運ちゃんはだまってパンをひろうと歩き出しました。きまり悪そうに、男の子はその後をまたぴょんぴょん飛び跳ねながらついていきます。

 

  夕立の中で古い建物が壊されていく様子を男の子はうっとりとながめます。

「ねえ、なんて名前?」

「セルゲイ」

男の子は運ちゃんの名前を知ります。

「ねえ、戦争に行った?」

「ああ」

 建物の横の路地に腰をおろし二人は話を続けます。

「恐かった?」

 運ちゃんはニコッと笑います。

「さっきみたいにひとりで殴られるほど恐くはなかったさ」

 バイオリンの蓋が壊れているのに気がついたセルゲイはそれを直してやりました。終わって中を開けたとき思わずバイオリンに見とれます。男の子は気前よく言います。

「持ってもいいよ」

指の油をぬぐい、運ちゃんはおそるおそるバイオリンを手にしました。

「軽いな」

「これは二分の一なんだ」

「二分の一?」

「子供用なんだよ。あと二、三年して僕の手が伸びたらまた大きいのを買ってくれるって」

 バイオリンのこととなると男の子は途端におしゃまになり、もったいぶって音響についての説明を始めます。それからセルゲイのために一曲弾いてやりました。男はうっとりとその音色に聞きほれます。(ここのところ、音と手が全然合ってなくて残念)。

「ねえ、チリなんとかって映画見た?」

「いいや。どうして?」

「なんでもない。聞いてみただけ」

 男の子は牛乳瓶を望遠鏡のようにして遠くを見ながらさりげなく言います。

「あそこにね、映画館があるんだ」

 セルゲイにもやっとその謎かけがわかりました。

 二人は顔を見合わせて笑います。そして今夜7時に映画館の前で待ち合わせることになりました。

  

 

  男の子が出かける支度をしていると、ママが部屋に入ってきます。

 いったい今日はどうしたの、油のついた手でバイオリンを触るなんて、だめじゃないの。

 どこへ行くの。え? 知らない人と映画に行くんですって? とんでもない、そんなことだめよ。今日はナターシャが来るから家にいる約束でしょう。出てはいけません。

 

 セルゲイはさっきから映画館の前でうろうろしています。もう7時を過ぎようとしています。アパートの前まで行きますが、男の子はあらわれません。悪ガキどもに尋ねようとしても逃げられてしまいました。

 彼と同じ仕事をしていて日ごろから彼のことを憎からず思っていた娘にとってこれはチャンス。あわてて即席のおめかしをし、何気ない様子で彼の前に現れます。

「セルゲイじゃないの。あたし、この映画を見たいんだけど、切符、手に入るかしら」

 セルゲイはなおも割り切れない様子であたりを見回しますが、娘の眼に会うと、「仕方ないか」と微笑みます。

 

 一方、家の中に閉じ込められた男の子は気が気ではありません。ついに窮余の策として窓から紙飛行機を飛ばすことを思いつきます。

「ぼくが悪いんじゃない。ママのせいだ」

 けれども紙飛行機は彼の目につくこともなく、セルゲイは娘とともに行ってしまいました。

         

 

  こういうことはよくあることです。人生には誰のせいでもなく好意が伝わらないといったことが往々にしてあるものです。同じようなことが男の子にもあったのです。

 きょう、セルゲイに助けられた後、男の子は先生のところに練習にいきました。まだ前の生徒が終わっていないので彼は廊下に備えられた椅子に座って順番を待ちます。このときのために用意していたポケットの林檎を取り出し、キュッキュッとズボンで磨き上げ、さて食べようと口にするところで、なぜかふと思い直して林檎をポケットにもどしてしまいます。しばらくすると同じような年頃の女の子がやってきました。おそらくこの時間は毎日彼女と一緒になるのでしょう。女の子は彼の隣の椅子に腰をかけますが、どちらも視線を合わせようとはしません。少したってから女の子はやっと、

「こんにちは」

 と、とびきりすまして言います。知った人に出会ったら良い子はちゃんとあいさつするものです。

「こんにちは」

 男の子も同じようにそっけなく返します。

 男の子の順番がやってきました。部屋に入る前に男の子はズボンのポケットからさっと林檎を取り出し、それを彼女の横に置いたかと思うとあっという間に教室の中に消えていきました。

  誰もいない廊下で女の子はひとりでつんとします。林檎を横目でちらりとながめ、またつんとします。それからおそるおそるそれを手にとったかと思うとさっと遠くの椅子に戻します。そしてまたつんとします。

 しばらくしてレッスンが終わり教室から出てきた男の子を女の子は意味ありげな微笑みで迎えます。でも男の子は今日の練習では先生にひどく怒られてしまいました。悲しくて、悲しくて、もう何も見えません。女の子のこともすっかり忘れて、外へ飛び出してしまいました。

 女の子のがっかりしたような顔。

 椅子の上には林檎の芯が残っています。

 林檎のことも、紙飛行機のことも、残念ですが、仕方ありません。くよくよするのはやめましょう。また明日があります。     

 

 「ローラーとバイオリン」という題を聞いたとき、この映画はローラという女の子とバイオリンの話かと思ってしまいました。しかし、これはフィジカルなローラーとスピリチュアルなバイオリン、うがっていえば労働と芸術との関係に意味をもたせた題だったのですね。後に祖国ソ連を追われることになった監督ですが、彼も若い頃には共産主義が理想的な形で人々を幸福にするのではないかと夢見たこともあったでしょう。しかしたとえ理想が裏切られるものだとしても、それをもたずして創作が可能とは思えません。

 サーシャというこの男の子は実に可愛い子でした。しかし、もっと感心したのはサーシャをからかった悪ガキ連のほうで、タルコフスキーはいったいどこからこの少年たちを調達してきたのでしょう。路地裏の子供特有の抜け目のない、とはいえ、それはそれで愛嬌がないこともない、このような生き生きした子供たちの表情は、演技で出てくるとはとうてい思えません。「なまの」人間の面白さを申し分なく備えている子供たちでした。思えば最近はこのような「なまの」顔をスクリーンで見ることが少なくなったような気がします。それはおそらく時代がはっきり変わったということでもあるのでしょうが。

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