Andrei Rublyov

 

古い映画です。Tarkovsky監督は「惑星ソラリス」で有名ですが、ここでもうひとつ彼の大作、「アンドレイ・ルブリョフ」をご紹介しましょう。

 

 時は15世紀。イコン画家アンドレイ・ルブリョフの苦悩を描いた物語です。

 冒頭の気球のシーンは空を飛びたいという人間の渇望を象徴するものでしょう。気球はいつもひっかかったり墜落したり、それはまたもだえあがくアンドレイの心を映し出している姿でもあります。タルコフスキーの別の作品「鏡」にもありますが、リフレクションは彼の映画の重要なテーマです。

 アンドレイの絵は天才的だが、その絵には信仰がないと批判する仲間の僧侶キリル。容赦ない彼の批判はアンドレイに対する嫉妬から出たものかもしれませんが、キリルに言われるまでもなく、それはアンドレイ自身が深く悩んでいる問題です。

「人は何故かくも不当に虐げられるのか」数々の回想の中で彼はますます答えから遠ざかり苦しみを深めます。

 絵の修行に出ていたアンドレイとキリルたちは、道中、激しい雨に見舞われます。雨宿りをした小屋の中には様々な人々が集まっていました。その中で旅芸人が人々の無聊を慰めようと気前よく芸を披露します。それは時の権力をからかう、きわめてきわどい芸でした。人々は喜びますが、それを見つめるキリルの顔は次第にしかめ面になっていきます。あれは悪魔の使いだ、低い声でつぶやくキリル。そうだろうか ― しかし、とくに否定するでもなく、アンドレイは黙っています。アンドレイたちが立ち去った後、誰が知らせたのかこの旅芸人たちは調べにやってきた兵たちに連れ去られてしまいました。

 とある村では祭りが始まっています。裸で走り回り性の狂宴をくりひろげる農奴たち。ひとりの女はアンドレイにまでセックスを迫ってきます。おまえたちの肉欲は獣と同じだとなじるアンドレイ。何故? 愛とセックスは同じこと、と言い切る女にはなんのくったくもなく自然です。翌朝、彼らを異教徒として殴り殺そうとするこちら側の残酷さはアンドレイには正視に堪えないものでした。高らかに性の賛歌をうたいあげていたあの女も殺されてしまったようです。

 彼にはどうしても「最後の審判」を描くことができません。

 善とはなんだ?

 とうとう彼は筆を折ってしまいます。

 

 さて、町ではタタール人と結託した大公の弟が今にも町に攻め入ろうとしているところです。教会にたてこもる人々に残されているのはただ祈ることのみ。しかし敵はどんどん迫ってきて、ついにその最後の扉もうちやぶられてしまいました。逃げ惑う女たちとそれを追いかける馬上の男たち。アンドレイは思わず剣を握り締め、敵を殺してしまいます。女は卑しく下等なもの。おまけに頭までおかしい女を救うために僧侶ともあろうものが人を殺してしまうとは。我にかえったアンドレイは絶望にうちのめされ、そのまま沈黙の行に入ります。

 一方、征服欲にかられ、誓いを破って双生児の兄大公を殺した弟も、もはや後戻りはできないとはいえ、実はその罪の深さに内心おののいているのです。自分はかつて神の前で兄と手をとると約束した。神は自分を罰するであろうか。

 けれどもタタール人の王にとってはキリストなど何の意味ももちません。

「あの絵の女は誰だ?」

 征服した城の壁に描かれている絵を見て、彼は大公の弟に聞きます。

「聖マリアだ。処女懐胎でキリストを身ごもられた」

 新大公は浮かぬ顔で答えます。

「はん、馬鹿な。処女が妊娠などするものか」

 タタールの王は一笑にふすだけです。

 白痴の女は、アンドレイがせっかく助けてやったにも関わらず、今は自らタタールの男たちにまとわりつき、ついに彼の制止もきかず、おろかな笑い声とともに去っていきます。ますます絶望を深めるアンドレイ。久しぶりに会ったキリルにも心を閉ざし、頑なに沈黙の行を守り続けます。

そのまま時は流れていきます。

 

 

 新大公は鐘作りの職人を探していました。このところ町は伝染病に見舞われ職人たちもその多くが死んでしまったのです。命ぜられた兵たちは町じゅうを捜し歩きますが、誰も見つからず弱っていました。所在なさげに戸の前に座っていた若い男にまで声をかけ、誰かこのあたりに鐘をつくれる職人はいないかと尋ねます。尋ねられた若者は鐘をつくると聞いて目を輝かせ、ぜひ自分を連れていってくれと熱心に兵に頼み込みます。

「俺は親父から製法の秘密を聞いているんだ。ほんとだ、ほんとだよ!」

 半信半疑ながらも兵士たちは他に誰もいないので仕方なくその若者を連れて帰ります。

 鐘作りはまず粘土を探すところから始まります。親方となる人間がまだ若造とみて職人たちはいろいろ口を挟みますが、若者は誰の言うことにも耳をかさず、気の狂ったように粘土を求めて探し回ります。やっと見つかった粘土。求めていた粘土を見つけた若者は、相変わらずなかなか言うことを聞かない職人たちを相手にしながら、それでもなんとか型を作っていきます。

 雪が降るまでには何が何でも銅を流し込まなくちゃいけないんだ!

 しかし、リーダー格の職人はもう一回上塗りをしなければ型が崩れてしまうと主張し、またしても若者に逆らいます。彼はついに兵に命じその職人を鞭で打たせます。鞭打ちによる激しい悲鳴を聞きながら、しかし若者もまた疲労困憊、心労にうちのめされているのです。通りがかったアンドレイはその若者の目をとらえ、無言の同情を寄せます。誰でもない、創造の苦しみを知るものだけが与えることのできる同情です。けれど、アンドレイの視線は若者を苛立たせるだけです。

「へん、同情なんてやめてもらいたいね!」

 若者はなおも強気です。

 いよいよ銅が流し込まれることになりました。期待と不安と恐れと、若者の心はまたしてもはりさけそうです。「ああ、神よ」彼は思わず祈りを唱えます。人々の鋭い視線の中、幸いにも鋳型は成功しました。若者は初めてそっと小さな笑みをもらします。

 

 

 思いがけずアンドレイはあの雨宿りの小屋で出会った旅芸人に遭遇し、彼に10年前おまえに密告され監獄に入れられたあげく舌を半分切り取られたと糾弾されます。身に覚えのないアンドレイ。しかしどれほど激しくののしられても、なおも彼は無言の行を続けます。

 旅芸人の罵倒から彼をかばったキリルは後に密告したのは自分だったと告白します。それと同時に、キリルはアンドレイにもう一度絵筆を持つことを強く勧めます。

「わしはおまえを妬んだ。おまえが筆を折ったとき、わしは密かに喜んだのだ。だがいまとなっては言おう。おまえのその偉大な才能を使わずにあの世に行ってしまうのは罪であると」

 かつて彼を妬んでいたキリルだけに、その言葉はアンドレイの胸を強く打ちます。けれども、

「何か言ってくれ、わしを呪ってもいい。頼む、何か言ってくれ!」

 と、泣かんばかりに懇願するキリルに彼はそれでもまだ口を開こうとはしないのです。

         

 

 さてその一方、いよいよ鐘が鐘楼に吊るされる日がやってきました。若者はまたしても不安におびえます。はたして鐘は鳴るだろうか。彼はせかせかと鐘楼のまわりを歩き続けます。あっちへ行ったり、こっちへ行ったり、もはや若者には自分がなにをしているのかもわかっていない様子です。胸の高鳴りはつのり、心臓は破れんばかり、そして遠くを見るとなんと大公自らこちらにやってくるではありませんか。

「大公様ご自身のお出ましだ。えれえこった」

 ひそひそとかわされる会話にもう若者は身の置き所もない様子。大公にひざまずくことさえ忘れる有様です。

「なんともたよりないではないか、あの髭のない男は。まるで乞食のような。わしにはとてもこの鐘が鳴るとは思えん」

「しかし、大公、あのものたちはこの鐘が鳴らなければ首を切られる覚悟なのですぞ。そう見くびったものでもありますまい」

「いや、わしは絶対鳴るとは思わん」

 あわれ、若者はもはや、鐘を鳴らせ、と言われても綱を引く力すら残っていないのです。代わりのものが綱を持ちます。

 ひとふり、ふたふり、そして大きく、

「ゴーン」

 鐘は見事に鳴りました。ゴーン、ゴーン、ゴーン、いつまでも高らかに鳴り響きます。

      

 

 人々が去った後、若者はひとり身も世もなく泣き崩れています。まるで子供のように。アンドレイは彼をやさしく抱きかかえます。そのときもう何年も使わなかった言葉が彼の口からごく自然に流れ出てきました。

「さあ、さあ、鐘は立派に鳴ったじゃないか。なぜ泣くことがある?」

 若者は激しくむせび泣きながら涙でろれつの回らなくなった声で叫びます。

「親父は俺に秘密など教えてくれやしなかった!

 あいつは死ぬまで何も教えてくれなかったんだ!

 ひどいやつだ!」

 若者はアンドレイの胸に顔を押し付け、狂ったように泣きじゃくり続けます。

「だがおまえは自分でちゃんと作ったじゃないか。さあ、もう泣くのはやめろ。そして二人で行こう。おまえは鐘をつくれ。わしもまた絵を描く。」  

 

 

 創作の苦しみ、それは誰にも教えを請うことができないという孤独の試練です。無から有を作り出すとき、どれほどの心的エネルギーを必要とするか、それを知るのがアーチストだともいえるでしょう。最後の復活の章のこの若者ボリースカはなんともいえずよかったですねえ。きゃしゃな彼の体から、闘志と、不安と、おびえがビンビン伝わってきて、最後に泣き崩れる場面など、もう圧巻としかいいようがありません。上演時間三時間という大作ですが見ごたえは十分ありました。                                 

 英日翻訳のご用命は

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