A Walk in the Clouds

 

アルフォンソ・アラウ監督、キヌア・リーブス主演の「雲の上で散歩」。

とても美しい映画です。

 

 時は1945年。戦争は終わりました。銅鑼の音が遠い戦場から帰ってくる帰還兵の到着を知らせます。船のタラップをおりてくる青年兵士たち。

「おまえも1週間前のくちか」

「ああ、顔がわかるかなあ」

「おれはわかるさ、絶対」

 顔がわかるか、というのはどういうことでしょう。実は彼らは戦地に赴くわずか数週間前にそそくさと結婚した若者たちだったのです。祖国のために危地に赴く青年たちと、それを見送る娘たち。すさまじい興奮の中で彼らはあわただしく恋に落ち、あわただしく結婚しました。同じようなことは日本でもありました。敗戦国の日本の場合にはわずか数週間の新婚生活の後、未亡人になってしまった人も少なくありません。また長い捕虜生活の後、ようよう引き上げて故郷に帰ってみれば、妻はすでに別の男、ときには自分の兄弟と結婚していたというような悲劇もありました。

 こちらは米国の話。波止場では船から降りてきた兵士たちを出迎える人々でごったがえしています。帰還兵ポール・サットンもそのひとり。人ごみの中で妻の姿を探しますが、彼女の姿は見あたりません。あれれ、波止場には最後に自分ひとりだけ残ってしまいました。仕方なくタクシーに乗ってアパートに向かいます。部屋ではキャリアアップを目指している妻のベティがレコードをかけてなにやら勉強している最中。暑いのでしょう、あられもない下着姿ですが、それでもポールを見てうれしそうに飛びついてきます。

「今日帰ってくるなんて知らなかったわ」

「手紙書いただろう」

「ええ、でも、戦争のつらい話ばかりなんだもの、毎日読むわけにはいかないわ。受け取ったらとにかく無事だって安心できた。あ、でもね、ぜーんぶ大切にとってあるのよ、ほら」

 そういって彼女は大きな箱を引き出して見せます。中にはポールが出したと思われる手紙が封も切らないままぎっしりつまっています。

 

 どうもなにかすっきりしませんが、くよくよしているひまはありません。戦争が終わったからといってのんびりしている余裕など若い二人にはないのですから。それにベティだってベティなりに彼のことを考えてくれてはいるのです。彼女はポールのために上司に頼んでチョコレートのセールスマンという仕事を用意していました。

 気乗りはしないけれど、かといって他にあてがあるわけでもなし、彼もその仕事を承諾します。このセールスは、軍服姿でチョコレートを売る、というのがウリです。戦争は勝利に終わり、人々の心はまだまだ高揚しています。お国のために戦ってくれた兵士たちがチョコレートを売っているとなれば、これはもう買わないわけにはいかないでしょう。ビジネスとはえてしてこういうものです。生きるためには人はあらゆる知恵を絞らなければなりません。戦争は戦争、ビジネスはビジネス。青年にもそのぐらいの世間的なセンスは供わっています。

 

 というわけで、ポールはチョコレートのセールスにサクラメントまで出かけます。まあ、はやい話が行商ですね。そのサクラメントまで行く途中の電車の中で、彼はかばんを網棚に置こうとした若い女性を手伝ってやります。ところが彼女は急に気分が悪くなってポールの胸に吐いてしまい、彼の背広をすっかり汚してしまいました。おまけにそのどさくさに二人の切符が入れ替わり、ポールは電車に乗り続けることができなくなってしまいます。あわてて代わりのバスに乗り込んでみるとそこには彼女の姿もありました。

「私ったらほんとうにご迷惑のかけっぱなし」

 切符のことに気がついた彼女はしきりに謝りますが、ポールは気に留めません。互いに自己紹介をしたあと、ビクトリア・アルゴンと名乗った彼女は読みかけのシェイクスピアについての本にもどります。大学で勉強しているのだそうです。

 しばらくするとバスに二人のチンピラが乗ってきました。二人はビクトリアの側にぴったりと座り卑猥な言葉でからみはじめます。「女はいやいやっていうけど、ほんとは好きなんだよな」どこのごろつきも同じようなことを言うもんです。 

 男たちがあまりにしつこいので見かねたポールが止めに入るのですが、ついボカンと男を殴ってしまい、「けんかはご法度、両成敗」と怒った女性の運転手にけっきょく三人ともおろされてしまいます。

 またしても私のために、とビクトリアは去っていくバスの窓から申し訳なそうにポールを見つめています。

 放り出されたチンピラたちはもと来たほうへ去り、ポールはバスの後をたどっててくてく歩いていきます。しばらくすると、道の真ん中でスーツケースに腰掛けているビクトリアに出会いました。「なんでこんなところに」といぶかるポールに彼女はそこが自分の家のあるところなのだと言いました。一面にブドウ畑の広がる美しい地、ラス・ヌベス。メキシコ語で「雲」という意味だと、彼女は彼に教えます。それから彼に戦争のことを聞きました。

「戦争は大変だったんでしょうね」

「ああ、毎日いろんなことがあった。毎日いろんなことを考えた。毎日ぼくは手紙を書いた」

「奥様に?」

「ああ」

「奥様はあなたの手紙を喜んだでしょうね」

「ああ、彼女は一字一句むさぼるように読んだよ」

 暗い表情でポールはそう答えますが、ビクトリアはそれには気づきません。「奥様がうらやましいわ」と言ったかと思うといきなりわっと泣き出してしまいます。なにか仔細がありそうな。「ぼくでよければ聞いてあげるよ」と言ったポールにビクトリアは一通の手紙を見せます。それは大学教授だという彼女の恋人からの「ぼくは自由人でありたい」という手紙でした。

 アルゴン家はメキシコの名家。大学へやった娘がこんな不祥事をしでかしたらただではすみません。父に殺されるとしゃくりあげる彼女に「男に捨てられたぐらいで大げさな」とポールは慰めますが、

「わたし、妊娠してるの」

 と、首をうなだれるビクトリア。なるほど、そうなると話はそう簡単ではないとポールも事態の深刻さを悟ります。電車の中で気分が悪くなったのもそのせいだったのです。

 父親も知らない子供を宿した娘。もう60年近くも前の時代の話です。ビクトリアの父の怒りは容易に想像できます。せめて、誰か一日でも彼女の夫になってその場をしのげば少しは状況が好転するだろうと、ポールは自分がかりそめの夫になって一晩だけアルゴン家に滞在しようと申し出ます。ビクトリアにとってそれは大きな救いでした。

 相談がまとまり、チョコレートの景品についていた指輪を彼女にはめてやり、ふたりはブドウ畑を横切って家に向かいました。そこへ「ズドン」という銃の音。

「お父さん!」

「なんだ、ビクトリアか」

 それは不審な侵入者に対しビクトリアの父が放った銃でした。どうも聞きしに勝る手ごわい父親のようです。

 

 

 案の定、娘が勝手に結婚したと聞いて父親は激怒します。しかもチョコレートのセールスマンなんかと!

「お父さん、お父さんは家長でしょう、なんとか言ってくださいよ」と父親は祖父のドン・ペドロに矛先を向けますが、アンソニー・クイン扮する老ドン・ペドロは酸いも甘いもかみわけた苦労人。これぐらいのことでは動じません。ふむ、チョコレート?どこじゃな、とポールの差し出す見本のチョコレートをうまそうにつまんで見せます。実権は自分にあるとはいえ、一家の家長がそんなふうですから、父も引き下がらざるを得ません。母も祖母も召使たちも家の女たちは娘の帰宅を喜び、ポールを暖かく迎えます。

 晩餐には、おばあちゃんご自慢のお手製のカボチャスープがでます。塩の取りすぎは身体によくないといつも言っているのに、おじいちゃんのドン・ペドロはたっぷり塩をふっておばあちゃんににらまれます。そんな家庭的なムードをよそに、「さて、サットン君」と父はさっそくさぐりを入れてきました。馴れ初めを聞かれた二人はなんとかうまくごまかしますが、父はポールの家柄にこだわります。

「ぼくは孤児院で育ちました」

 はじめて聞くポールの生い立ちにビクトリアもはっとします。孤児だと? メヒコのアルゴン家の娘ともあろうものがどこの馬の骨ともしらないやつと一緒になるなんて、と父親はまたカンカンです。いたたまれなくなったポールはついに席を立ってしまいました。後を追ったビクトリアはポールにわびます。

「本当にごめんなさい。あなたにいやな思いをさせて」

「君のお父さんに言い返したかったが、できなかった。ぼくだってお父さんの立場だったらそう思うかもしれない。それにね、君の家はぼくがまさに子供の頃に描いていたような家庭なんだ」

         

 

 寝る時間になりました。母親は召使と一緒に甲斐甲斐しく二人のベッドの用意をしています。

「このシーツは私も私の母も初夜のときに使ったものよ。あなたがたがもう初夜でないことは知っているけど、でもぜひこれで寝てもらいたいの。あなたたちに幸せになってもらいたいから」

 枕の上に1本の薔薇の花をおいて、支度を終えた召使と母親は部屋を出ていきます。召使のほうは感極まって泣きじゃくっています。

 できたことはできたこと、と現実的な女と違って、父親のペドロは、どうもまだ面白くありません。おまけに今夜はベッドまで取り上げられて、こんな狭い客用寝室で寝なくてはならないのです。妻はそんな夫をなだめ、新婚夫婦に「おやすみなさい」の挨拶をしてくるようにと頼みます。「あなただってわたしと結婚するときわたしを盗んだじゃないの」

 しぶしぶながらも父親は夫婦の寝室をノックします。べつべつの寝場所をこしらえていたふたりはあわててベッドにもぐりこみ、抱き合います。

「母さんがどうしてもおまえたちにおやすみを言えというから来たんだ」

 挨拶をしてドアを閉めようとしたとき、ペドロの目に床に散らばった寝床のような形跡が目に入りました。なにかおかしい、彼は首をかしげます。

 夜中にまた調べにくるかもしれないので、ふたりはけっきょくその夜は一緒にベッドで眠ることにしました。眠りにつく前、ふたりの唇はいまにもふれんばかり。しかし、ふたりはかろうじてとどまります。

 夜中にポールは悪夢にうなされ飛び起きます。この映画の中で何度となく出てくるシーンです。戦争は勝っても負けてもきれいごとではすみません。戦場では子供たちも容赦なく殺されていきます。自分と同じような境遇の子供たちまで。答えのない不条理にポールの無意識は悩まされ続けているのです。ビクトリアはその肩にそっと手をおきます。

「すまない。あまりいろいろなことがありすぎて」

 頭をかかえるポール。そのとき何かの警報の鐘が鳴り響きます。

「霜だわ」

 霜は葡萄にとって致命的です。ビクトリアはあわてて外に出、ポールも後を追います。使用人たちも一斉に飛び起きてきました。あちこちで火が炊かれます。

「ぼくも何かさせてください」というポールに父親は「飛べるか」と聞きます。「教えてくだされば」「この忙しいときにいちいち教えていられるか」父親はにべもありません。

 「わたしのするとおりにして」とビクトリアは彼に羽をわたします。大きな白い羽を背中につけてそれをあおいで暖かい空気を葡萄に送っていくのです。羽をつけた人々がゆっくりとそれを振り動かすこのシーンはとても美しくまた不思議な光景でした。

 

 翌朝、心ひかれながらも立ち去ろうとするポールを祖父のドン・ペドロがひきとめます。

「君に見せたいものがある」

「申し訳ありませんが、仕事がありますので」

 しかし、老ドン・ペドロは聞きません。「まあまあ、荷物はそこにおいてついておいで。あ、チョコレートのかばんだけはもってきてもいいな」仕方なくポールは後に従います。チョコレートをつまみつまみ、老ドン・ペドロはポールを畑のはずれに連れていきました。そこには葡萄の老木が立っています。

「わしの親父、そのまた親父がもってきた葡萄の木だ。この木はわしたち一家の命の木、そのルーツはわしたちのルーツでもある。君もまたこのルーツに加わることになる」

 そう言って老ドン・ペドロはポールを暖かくみやります。

「君はもう孤児ではない」

 老ドン・ペドロの言葉はポールの胸をうちます。けっきょく彼は収穫の日に参加するため、もう一日滞在をのばすことに決めました。ビクトリアはもちろん大喜び。この日は弟のペドロも帰ってきました。跡取り息子はみんなペドロと名乗ることになっているのでしょう。大学で近代経営を学ぶ若いペドロはいつも父に農園の改革を提案しているのですが、父にすれば近代経営など机上の空論、そんな話は聞く耳をもちません。一方、若いペドロは姉の結婚を喜び、ポールともくったくなくすぐ打ち解けます。

 葡萄を刈り取るとき、老ペドロはポールに自分の古い作業着を貸してやりました。

「うん、なかなかよく似合っとる」老ペドロはそういって小声でそっと付け足します。

「前があいとるぞ」

「あ」

 収穫は使用人だけでなく一家総出で行います。生まれてはじめて葡萄を摘み取ったポールは慣れないものですから、つい地面に落としてしまいました。それをみた父親のペドロはわざとらしくその葡萄をとりあげ、土をはらってふっと息をふきかけます。しかし、ポールはたちまちコツを飲み込み、手際よく片付けていきます。いつしかポールと父親は張り合うようになっていました。興味深げにそれを見守る人々。最後の箱が運ばれました。気負ったペドロはつい葡萄を取り落としてしまいます。ポールはその葡萄をとりあげ、さっきペドロにやられたようにふっと息をかけ、これみよがしに箱にもどしました。みんな笑います。

 収穫を終えた葡萄は大きな大きな樽に集められます。アステカ族のしきたりに添って四方の風の神に感謝の祈りを捧げたあと、既婚の女たちが樽の中に入って葡萄を踏み潰します。今年はビクトリアもそれに加わります。新婚の男は特別、と、ポールも中に放り込まれてしまいました。収穫の喜び、生の喜び、人々は音楽にのって陽気に、楽しく踊ります。興奮の中で部屋にもどったビクトリアとポールはその勢いのまま激しいキスをかわします。しかし、そこでポールははっとします。

「君を抱きたいけど、抱けない」

 ポールには妻がいるのです。ひとり残され、ベッドの上で子供のように身もだえするビクトリア。彼女の胸のせつなさがひしひしとつたわってくる場面です。よかったですねえ。

                                                

 

 出かけようとするポールを家の人々はさりげないふうをしてあの手この手でひきとめます。けれど、いくら彼女に惹かれるとしても自分は既婚者。ここに残るわけにはいきません。彼は最後にビクトリアの父に向かい合います。

「ぼくは戦争で心を閉ざすことを覚えましたが、あなたはなぜです? あんな素晴らしい娘さんをもっていながら、なぜ彼女に冷たくあたるんです?」

「わしが冷たいだと。わしが一体なんのためにこんなに働いていると思うんだ。みんな家族のためだ。よくもそんなことを」

「ではどうかそれを態度で示してあげてください」

 無言のまま、しかし、ペドロにも何か考えるところがあったようです。サクラメントの町の収穫祭で彼は思いかけず町の人々に二人の結婚を公表します。驚くビクトリアとポール。大変なことになりました。こうなれば黙っているわけにはいきません。ビクトリアはポールに感謝し、真実を話すことを決意します。

「君はぼくの知る中でもっとも勇気ある人だ」

 彼は軍隊でもらった勇気のしるしの勲章を彼女に与えます。

 

 

 ヒッチハイクさせてもらったトラックの運転手にどこから来たんだと尋ねられ、「雲」からだと答えるポール。運転手はにやりと笑い、「雲を散歩して、で、いま地上にもどったわけだな」。それはまさにポールの心情をいいあてた言葉でした。

 ポールが家に帰ると妻のベティは情事の真っ最中。いきなりカーテンをあけられ、間男のバツの悪いことといったら。怒りながらもポールは開封された自分の手紙を見て驚きます。これは意外。私はこの手紙はビクトリアが読むのではないかと思っていました。でも、これはベティが読むほうがはるかにいいですね。いくぶん浮ついたところがあるとはいえベティはべつに悪い女ではありません。

 ポールの怒りを恐れあわてふためくベティは大急ぎで彼に一通の書類を差し出します。「手紙を読んでわかったわ、あたしたち何も共通するところがないのよ。ね、お願い、これにサインして。婚姻の無効届けよ」

 戦後のこの時期、この無効届<annulment>はかなり多くの数が提出されたのではないかと思います。またおそらく平時と違ってかなり簡単に受理されただろうと思われます。

 思いがけない成り行きにポールの頭は混乱しますが、それはむろんすぐ喜びに変わります。窓から心配そうに見守るベティと男にポールは元気よく手を振ってわかれます。「大丈夫かしら」と顔を見合すふたり。それにしても最初は下着姿、次も着崩れたバスローブ姿で、このベティには衣装代はほとんどかかっていませんね。

 

 

 ポールはもちろんすぐにビクトリアのところに飛んで帰ります。

 しかし、そこでまた思いがけない悲劇に見舞われてしまいます。残酷な運命。けれども運命はたんに残酷なだけではありません。古きものが新しきものへと変化していくとき、そこにはどうしても葛藤が避けられません。ときには大きな犠牲を伴います。けれども、後になってそれがむしろ天啓であったのかと思わされるような展開になることもこの世には多々あります。映画は次世代への希望を育むところで終わります。

 とても後味のよい作品でした。珠玉という言葉がぴったりあてはまる作品です。もう新しい作品ではありませんけれどもまだご覧になっていない方には絶対にお勧めです。          

英日翻訳のご用命は 

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