グローン摩野のホームページ

翻訳こぼれ話(4)

ケースで学ぶ
 TOC思考プロセス

原題 Management Dilemmas: By Eli Schragenheim

中井洋子、内山春幸、西村摩野 訳
出版:ダイヤモンド社 2004年8月

 

 はじめにお断り申し上げねばなりませんが、私は単なる翻訳者にすぎませんので、TOCそのものにつきましては何も語る資格はございません。ただ、本書の共訳のお話をいただいたとき、ふと思い当たって調べてみると、もう何年も前にすでに私自身が、一部ながらも、TOC関係の文書を翻訳していたことに気がつきました。翻訳会社から受注していますと、とにかく夥しい数の文書が回ってきますので、正直なところ、そのすべてを完璧に覚えているわけではありません。翻訳作業中は与えられた文書の一言一句に集中しておりますが、ひとたび手を離れると頭は次の仕事のことで占められます。とはいえ、TOCに関しては訳しながらも別の意味で多々考えさせられるところがあり、比較的鮮明に記憶に残っておりました。これも何かの縁でしょうか。

 さて、論理的な文章というのは、難解ではあっても、ミステリーの謎解きに似た面白さがあります。今回のシュラーゲンハイム氏の事例はどれをとっても非常に緻密な計算の上に構成されておりますので、作業自体はハードではありましたが、その面白さを十分たんのうさせていただきました。事例のひとつひとつがいかに考え抜かれたものであるかは本書をお読みいただければおわかりいただけると存じます。出される問いの鋭さ。読み込んでいくうちに徐々にその意味がわかってまいります。読み手の醍醐味はここにあるといってよいでしょう。筆者はそれも計算済みです。

 

 

 

 Statistics is not a very robust decision support system when the data is not available. Roy could, perhaps, have roughly estimated the standard deviation for the use of the restaurant during peak times. But that still would not tell him how long customers are willing to wait before they decide never to come to that hotel again.

「データを入手できなければ、統計は意思決定の支援システムとしてはまったく役に立たない。ロイは、おそらく、ピーク時のレストランの占有率について、標準的な偏差を大まかに見積もったのであろう。しかし、そんなものはやはり、客がぎりぎりのところどの程度待ってくれるか、すなわち、もう二度とこのホテルには来るまいと客に思わせずにすむ待ち時間はどの程度か、などということを教えてくれない」 

 

 

 

 こういった文章は、反対に日本語から英語に訳すとなると、かなりまわりくどい言い回しになってしまうような気がするのですが、しかし、この場合は前後の関係から「ふむふむ」とうなづきながら訳しておりましたので、するすると頭の中に入っていく感じがいたしました。むろんいつもこううまくいくわけではありません。夜中に呻吟するほど悩まされた箇所はいくらもあります。とはいえ、最終的には必ず論理的につじつまが合うはずだという確信をもって訳すことができる仕事に巡りあったときは幸運といわねばならないでしょう。同じように翻訳をなさっている方ならおわかりいただけると思います。産業翻訳でまわってくる仕事というのは時によってはおそろしくラフなことがあって、たとえば契約書のような文書でも「いったいこれは?」と頭の中でいくつものクェスチョンマークが飛び交う場合があります。ドラフトでは既成の契約書を使うことがよくあって、そのときに売主、買主等の主語、あるいは第三者やエスクロといった関係者の記述が別のものに変わっていたりすると、とたんにわけがわからなくなる、といったことがよくあります。明白な誤謬は問題ないのですが、いかにもそれらしい内容になっているところが混乱のゆえんです。むろん、最終的には間違いに気づきますが、翻訳のスピードが落ちてしまうのは避けられません。

 

 

 

 ラフといえば、また、たとえば宣伝広告の文書など、具体的な内容というよりフィーリングが重要となるものは、字面の意味にこだわりすぎるとそれもまたわけがわからなくなってしまいます。こういう場合に翻訳作業で用いるスケールは最も荒削りのスケールに置き換える必要があります。ある意味ではこれこそ一番難しい翻訳といえるかもしれません。ちなみにラフというのはこの場合、べつに文章のよしあしをあげつらっているのではなく、単にそのような種類だということにすぎません。またついでながら、私は、産業翻訳において、翻訳者は原文の文章技術を云々する立場にはないと思っております。むろん、翻訳の完成度が原文の完成度に大きく左右されることは、絶対に、確かです。ただ、いくら未完成なものであっても、それがお客様のその時点のニーズであるとすれば、翻訳者は可能なかぎりそれにお応えしなければなりません。(正直に申しますと、時には脳みそがねじれるような思いをすることもございますが)

 それに対し、本書が必要とするのは最も精密なスケールでした。むろん超精密スケールを必要とする翻訳がたやすいはずはありません。十分すぎるほどの歯ごたえを味わうこととなりました。ただ、ここまで論理の整合性を完成させた書はある意味で翻訳にも「解答」が与えられているといってよいでしょう。今回は特に著者のシュラーゲンハイム氏とも直接メールで疑問点をお尋ねする機会もあり、本質的には著者の意図を十分汲み取った翻訳になっていると自負しております。これはあくまでも私の翻訳作業にかぎったことであり、主題であるTOCの観点からの翻訳作業は中井、内田両氏のご担当であることはいうまでもありません。

 

 

 

 ちなみに原文のプリントにもマイナーなミスはございました。ささいなことにしろ、それを翻訳で発見できたことは翻訳者の、これまたささいな喜びとなっております。もっとも、著者のミスなどより、最後の校正で私は私自身のとんでもないミスに気がついたことを告白いたします。それは共訳者としての私の名前が「西村摩野」ではなく、なんと「西摩野」になっていたことです。気がついたのは本当に最後の最後。トホホ、とはまさにこのこと。しかし、印刷前でしたので、救われました! 

 なお、この時期は結婚前でしたので西村摩野となっておりますが、現在はグローン摩野、また通称としてグローン西村摩野も使っております。
 

 

 

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